ポロロッカの卵

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【書いてみた】せきしろ・又吉直樹共著『カキフライが無いなら来なかった』を読んで視座がポエマーになった話【散文】

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こんにちは。

根が厨二病なポロロッカです。





最近、僕、


めっちゃポエミーなんです。




もくじ

1冊の本がきっかけ

最近、とある本を買って読みました。

それがこちら。


『カキフライが無いなら来なかった』
著・せきしろ/又吉直樹 (幻冬舎)



こちらの本はいわゆる自由律俳句集

せきしろ・又吉直樹という2人の鬼才が『日常』の一コマを独特の視座で捉え、それをポエミーな表現で綴った自由律俳句・散文が500篇ほど書かれています。
読んでいると思わずニヤリとしてしまう面白さです。



又吉直樹さんは説明のいらない鬼才。

せきしろさんは僕の人生のバイブルでもある『たとえる技術』の著者でもあり、彼の視座にはいつも感服してしまいます。



最初はそんな2人の共著というだけでこの本を手に取りました。
特に自由律俳句や散文には興味もなかったんです。



しかし、読み終わって僕は、、


見事に、、、、



自由律俳句・散文にハマりました……


自由律俳句と散文にハマる

"自由律俳句" "散文"というものにハマったというよりかは、

彼ら2人の"視座"や その"表現"というものにハマった、と言った方が正確かもしれません。


とは言ってもやはりフィクションなものではなくてノンフィクション、つまり舞台は『日常』であるものの方が好きなので、やはり自由律俳句や散文というものが好きなのかもしれません。



そして気づけば僕は、「身の回り 目に見たものや経験したこと」無意識のうちにめちゃくちゃ『ポエミー』に表現してしまうようになっていました。


簡単に言えば、
めっちゃ厨二
になってたんです。


ハマったから書いてみた

最初のうちは頭の中で思いついた表現を少し反芻してはすぐに忘れて……ということを繰り返していたんですが、

ある日僕は一線を超えてしまい、
ついに頭の中のそれを文字に起こしてしまっていました。



こんな恥ずかしい文章は将来黒歴史になると相場は決まっているんですが、メモ帳の中にそれを留めたままではそもそも歴史にすらならないじゃないかと意味のわからない屁理屈を抱いたので、

今回は黒歴史にすべく、公開してみます。



他人の恥ずかしい文章を読んでるとこっちがむず痒くなってくるよ! という方はこのへんでブラウザバックすることをおすすめします。

僕を存分にいじりたい方は読み進めてみてください。






青信号を縫う


住んでいる家は終着駅の近くにある。
家の最寄駅が終着駅 と言った方が正確だろう。駅まで自転車で2,30分はかかるのだ。その絶妙なまでの遠さに辟易しながらも、今日も駅から家までその鉄の塊を漕いで帰る。


駅に着くと、改札までかなりの距離があった。乗り込む車両を間違えたとは言っても後の祭りで、受け入れ 歩く。改札は遠いというのに私はポケットの中にあった切符をもう既に握りしめていた。バンプオブチキンの歌詞で似たようなことがあったな、と思いを巡らすが対偶だったことに気づく。
切符を通す直前は執拗に背負ったリュックの口が閉まっていること、そして落し物がないことを確認した。もうこっち側の世界には戻ってこれないかもしれないから、なんて150円の入場料よりも安い世界に住んでいるみたいだ。そう言いつつあっち側の、通ってしまえばこっち側の世界に足を踏み入れた。

そもそも駐輪場が遠い。友人と別れた直後の私は、何か胸に感じるもの寂しさを紛らわすためにか幾度も酒屋の誘惑に負けそうにもなったが、今日は昼まで惰眠を貪っていた自分にそんな褒美はやれない と立ち去る。ドレスを着崩した女性やスーツを着こなした男性にかけられた声はさながら馬耳東風、私は真っ直ぐ歩いた。

駐輪場 と勝手に呼んでいる自転車がたくさん止めてある敷地、まさにグレーゾーンな訳だが、そこでグレーの自転車を回収した私は夜の街を滑った。自転車に乗っているというだけでキャッチの面々は打って変わって声をかけてこないし見向きもしない。夜の街を統べた気分だった。


ここまで来たらあと少し、と鼓舞しつつも、ここからが長い、と士気を下げられる。前者後者での能動受動の違いは、いつまでも正義に憧れている証拠なのだろうか。


私はひとまず川端に出た。この通り沿いに北上すれば家まで最短で帰られるという魂胆だったが、10月はもう冬なのかと疑うほどには 私が身に纏っていた水玉のシャツは凍てついた。万一の防寒着としてリュックに潜ませておいたボーダーのニットが役に立った瞬間であったが、二度と水玉の上からボーダーは着るまいと固く誓った瞬間でもあった。

そんな寒い川端には早々に別れを告げることにし、次の信号までもが煌々と輝くのが一目に映るほどの通りに移る。少し効率は悪いが、あとは北上するだけ とまでに至っていることには変わりはない道なのでまあ良い。この通りは両サイドに歩道があるので、青信号の調子に合わせてかいくぐるようにして進むのが定例である。しかしそこは暗く、今にも息絶えそうなホタルの灯りほどの明るさしか持たないライトを備えた自転車ではなかなかに心許ない道ではあった。

青信号を縫おうにも、なぜだか毎回あと少しのところでブレーキをかけさせられた。この通りを通るタイミングが悪かったのか、ここら辺一帯の信号機の規則性がそうさせているのかは見えないが、それにしても面白いほどに各信号機で足止めをくらい続けた。
途中、さっきまで私の前を走っていた自転車が警察に番号登録確認されている横を通った。この時ばかりは赤信号と、改札でちょっとでも長居したがった友人に感謝した。そしてその気持ちを込めて止められた自転車に一瞥をくれる、訳でもなく私は颯爽に一過した。


それにしても執拗に赤信号と出遭う。私の前を横切る道路はいつも青信号だ。待っている間中、青信号というよりは緑じゃないか? などと横向きの もはや潰れた楕円形ほどにしか見えない信号機に向かって疑問をぶつけた。しかしもちろん、私の進む方向とはねじれの位置にあるその信号機は私の疑問には答えてくれなかった。そしてそのままその顔を火照らせた。そんな顔色の変化が確認できたら、今度は私の番だと言わんばかりにブレーキから手を離す。クリープ現象などないはずの自転車でも、逸る気持ちは抑えきれずに少し進み始め、その頃には青信号の青たる定義などもうどうでもよくなっていた。

ただひたすらに北へ上った。京都の御所からは遠ざかっているはずなのに上ったなんて言うのは、時代が時代なら打ち首モノだったかもしれない。そんな訳はないか。


家も近づいた頃、私はスーパーマーケットに寄った。どうやら結局酒が飲みたくなったらしい。まぁいいか、131円なら150円の入場料よりも安い世界でだって買える。

店から出るとき、隣のレジで私と同じタイミングで会計を済ませたチェック服の男性もドアをくぐった。バンプオブチキンの曲名で似たようなことがあったな、と思いを巡らすがデジャヴだと感じ辞めた。そのまま彼は原動機付自転車に、私は自転車に乗り込み、お互い車道と歩道を走った。
彼は30キロの法定速度を厳守していた。これは持論だが、原付の法定速度を守る人間はおそらく普通免許は持っておらず、原動機付自転車専用の免許というものを持っているのではないか と思う。自分でもその偏見の偏り具合に そんな馬鹿な とにやついてしまった。


私の眼前の歩行者用信号機は点滅ののち赤になった。点滅を確認してから徐々に加速した程度では間に合わなかったようだ。しかしその程度でも加速された私の自転車はその慣性を縦に直進した。
原動機付自転車と並走し、その時だけは都合よく車道の左端を走るタイプの自転車と化した。そして消えかけの青信号の下をギリギリによぎった。


「青信号というよりは緑だ」なんて屁理屈は、そのとき一切脳裏をよぎらなかった。


さぁ!

存分にいじってくれ!!








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