なぜ量産型現代人は文末に「説」と付けたがるの?という話
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こんにちは。
最近の日本人、何でもかんでも文末に「説」つける説。どうもポロロッカです。
はい、今の挨拶。
最近よく見かけませんか?
「〇〇説。」ってやつ。
僕あれ、大っ嫌いなんです。
と言っても僕自身が「〇〇説。」ってのを全く使わないわけじゃないし、嫌いではあってもたまに不意をついて言ってしまうことだってあります。
【へのへのもへじ】顔のパーツを各言語で描いて最強の「へのへのもへじ」を作ってみた話 - ポロロッカの卵
冒頭からいきなり使ってしまった過去記事
それでもやっぱり大嫌いすぎて、自分で使ってしまうとむちゃくちゃ辟易します。
僕が「説」のことをなぜこんなにも嫌いかというと、量産型現代人が何も思考せずにすぐ口をついて言うからです。
逆に言えば、「『説』を使っている人は自分の頭で物事をロクに考えていない」と思っています。
相槌の「なるほど〜」みたいなもんです。
そこで今回は、
そんな「説」にスポットライトを当てて、あれやこれや議論していきたいと思います。
もくじ
はじまりは「水曜日のダウンタウン」
(出典:水曜日のダウンタウン)
「水曜日のダウンタウン」とは、TBS系列で2014年の4月から放送されているバラエティ番組で、そのタイトルの通りダウンタウンのお二人の冠番組です。
その内容は、
芸能人が自らの提唱する様々な「説」をプレゼン、その「説」を検証した模様をVTRで紹介し、スタジオでパネラーとトークを行う。
(出典:水曜日のダウンタウン)
というもので、いわば検証ものです。
で、上の説明にもあるようにこの番組で「〇〇説」という言葉が使われ、それが注目を浴び、今や現代人の会話の節々に見られるまでになったのです。
今やみんな使ってる
別にみんなが使ってるから嫌いってわけじゃありません。一応そこまで捻くれてはいないつもりです。
でも、ここまでみんなが説説説説言いまくってると、逆にそれを使うのがこっぱずかしく感じます。
まるで自分が流行りに乗じてるミーハーかのように感じるわけです。
しかし、今や「流行り」とかそういう次元じゃなく、あたかも国語の教科書に乗ってる慣用表現みたいに「説」が使われています。
試しに、もしツイッターをやっている方なら、
「説」と検索してみてください。
それも、自分がフォロー中のユーザーのみに絞ってやってみてください。
その条件を加えても、なかなかの数の呟きがヒットするんじゃないでしょうか?(個人差あり)
そうやって身近な人の呟きを見ると、
いかにみんな"無意識に"「説」を使っているかがわかると思います。
そして最近では「〇〇説。」だけでは留まらず、
その後にもう一言付け足す「派生型」も多く見受けられるようになりました。
その中でも代表的なものだけ紹介したいと思います。
様々な「派生型」
「〇〇説ある」構文
これが最も一般的な使われ方ではないでしょうか?
ただ「〇〇説。」と言っても、ツイッターならまだしも、日常会話などでは文が独立してしまって使い勝手が良くはありません。
そこでその後に「ある」という動詞を付けるだけで、文がしっかりとした骨格を持って、日常会話に溶け込みやすくなります。
英語でいう「名詞」だけじゃなくて「There is 名詞. 」ってやつですね。
確かにこのブログの冒頭挨拶、あえて「〇〇説。」にしたんですけど、ちょっと日本語としておかしかったですもんね。
この「〇〇説ある」構文のさらに派生型として最近世間でひしめいてるもので、
「〇〇説 is ある」構文というものもあります。
「〇〇 is ある。」という慣用表現は昔からあったので、それと合体した感じですかね。
ただこれを使っていると、さすがにTHE ヲタクっていう匂いがしちゃいますね……。
「〇〇説、濃厚」構文
これもよく聞く。
というか1番よく聞く。
僕の生活環境が大学だからなのかもしれませんが、大学生に好まれがちのこの表現はむちょくちょよく耳にします。
これは「〇〇である可能性が高い」という意味で使われています。
よく大学構内のコンビニで大声でこの構文を使っている人を見かけるのですが、
そういう人は大概チェックシャツを着ている説、濃厚です。
「〇〇説、牛乳」構文
これは先ほどの「〇〇説、濃厚」構文のさらに派生型なのですが、
その濃厚さを他のものに例えて表現する技法です。
ここまでくるとさすがに現実世界で使っている人を見かけることはほとんどありませんが、ネット上の文語表現としては蔓延っています。
ちなみに濃さレベルとしては、
濃い
↑
ギリシャヨーグルト
↑
飲むヨーグルト
↑
熱濃硫酸
↑
牛乳
↑
低脂肪乳
↑
おかんの作ったカルピス
↑
薄い
という順列になっています。
(YouTuberはなお語録より)
「とりあえず説つけときゃいいっしょ」という考えが大嫌い
僕は思考ストップで「"とりあえず"説つけときゃおもしろいでしょ」という浅はかな考えをしている人が嫌いなのです。
もし今これを読んでいる人で、「説つけたら何でもおもろい説www」とか言ってる人はやめた方がいいと思いますよ。とだけ毒を飛ばしておきます。
だから逆に、もう日常会話での当然の慣用表現として使っている人は、仕方ないと思っているってわけです。
だから「説」全否定ではないですよ!
まとめ
「説」の利用は計画的に!
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