【童謡】友だち100人できるかな?に隠された真相の話【読者100人】
スポンサーリンク
フゥエェェェイィィィッッッこんにちは。
とてもテンションが高いポロロッカです。
はてなブログに搭載されている機能の中でも一番ブロガー同士の繋がりを深めているであろう機能こそ、読者登録機能です。
もはや「です」って言い切っちゃうぐらい、この機能はブロガー同士の交流という面で一番意義を成していると思っています。
そんな読者様が、この度、
100人を突破しました〜〜!!
いやもうこんなちっこいアイコンが載った画像なんかじゃなくて一人一人紹介したい。そのレベルで嬉しいです、やっぱり。
だって100人ですよ?
初代ポケモンの種類数だって151匹だし……
人間の煩悩の数だって108……
あれれ?
普通こういう時100より小さい数字言うべきところなのに、大っきい数字の実例ばっかり挙げちゃったよ?
おっかしいねぇ!
……というように、いつも冷静沈着な僕がこんな感じで動揺してしまうほどテンションが上がってるのです。
冒頭のハイテンションの理由もすべてはこの動揺のせいです。
さて、そんな読者100人できたポロロッカですが、これは友だち100人できたと言い換えてもいいと思います。
いや友だちだなんて馴れ馴れしいのは重々承知ですが、僕は一方的に皆さんを友だちと見なしています。逆に僕に友だちと見なされたいという方は
↑コチラをポチッとしてみてください。もう僕たちは友だちです。
まぁそんなわけで、友だち100人といえばあの歌ですよね。
そう、「一年生になったら」です。
今日はそんな童謡「一年生になったら」に隠されたとある怖い都市伝説の真相について考えていきたいと思います。
もくじ
まずは歌詞を見てみよう
一年生になったら
まど・みちお作詞/山本直純作曲
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと
「小学校に入学したら、友だち100人できるだろうか」という新生活への期待と不安を描きながら、「もしそうなったら富士山に登っておにぎりを食べたい」というイベントサークル顔負けの企画力も表現しています。
歌詞から読める怖い解釈
そんな「一年生になったら」の歌詞ですが、世間では怖すぎる解釈がなされています。
それは、「友だち1人いない問題」です。
この歌詞中において、主人公は友だちを100人作ろうとしています。
つまり主人公を合わせたら101人になります。
なのに、富士山に登っておにぎりを食べるのは「100人で」と言っています。
1人、いないのです。
これに対して、
「1人は富士登山できないような子で、101人集まれば1人はそういう子が混じっているんだということを暗示している」
だとか、
「残り100人でその1人を食べたんじゃないか」
だとかいうなかなか怖い解釈が展開されています。
新しい解釈考えてみた
このままでは、「新生活への期待と不安が入り混じったドキドキワクワクな感情を抱く、イベントサークル次期幹部の少年の物語」ではなく、「カニバリズム(人肉主義者)学級のドキドキワクワク富士登山物語」とかいう超絶ホラーの怪作品になってしまいます。
というわけで、そんなことにならないための新解釈を考えてみました。
それが、こちら。
クラス担任が、パックンマックンのパックン説
中堅お笑いコンビ「パックンマックン」の、日本語ではボケ・英語ではツッコミ担当のパックンがこの童謡の子ども達の担任の先生だったとする解釈です。
ではさっそくこの歌詞を、「パックンが100人の児童達に話しかけている」として捉えてみましょう。
脳内再生はカタコトの日本語推奨です。
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと
訳
入学式を終えた新1年生の皆さん、こんにちは!
僕、パックン!!
みんなはこの先、数ある試練を乗り越えていかなくてはいけなくなるわけだけども、その中でも最も過酷な試練こそ、「友だちを作る」ということなんだね。
さぁてみんなは、友だち100人、できるかな?
もちろん先生は、みんなの1人目の友だちだよ!
そしてみんなが、先生を含めて100人の友だちを作れた時は、富士山の上でおにぎりを食べたいな!
僕パックンと、君たち100人で!
↓つまり
歌詞の「パックンと」と「100人で」は「担任パックンと児童100人で」を表している、
つまり実際は101人というわけです。
うーん……
自分でもあまりしっくり来てません……