ポロロッカの卵

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【妖怪のせい?】妖怪に袖を引かれた話

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お題「誰にも信じてもらえない体験」

こんにちは。

ブログチャレンジャーのポロロッカです。




いま、皆さん、「ブログチャレンジャーってなに?人は生まれながらのチャレンジャーだろ?」ってなったと思うので軽く説明をば。



「ブログチャレンジ」って?


ブログチャレンジ - はてなブログ

皆さん使っているであろう(いや使ってるよね現在進行形で)はてなブログに搭載されている特設ページなのですが、

このページにはいくつか項目があって、それをこなしていけば人気はてなブロガーになれるらしいです。
ゲームで言うとミッションみたいなもんです。


僕もそのチェックリストにチェックをつけていて、あと2つで「初級編」をコンプリートするまでになりました。
ので、今日は残りのうちの片方、「お題スロットを回して記事を投稿する」に挑戦してみたいと思います。

お題は「誰にも信じてもらえない体験」でした。やっていきましょう。




誰にも信じてもらえない体験「妖怪の街で妖怪に袖を引かれた話」

小学6年の僕は、無類の妖怪好きでした。


今でこそ「妖怪ウォッチ」というものが流行り、かわいい妖怪が増えたのですが、当時は妖怪というと「奇々怪々な怖いもの」というイメージが色濃い時代でした。

ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ第5期が放送されていた時期でもあり、「妖怪といえば水木しげる」という定義はまるでこの世の理を示すかのように絶対的でした。



同じ「あかなめ」という妖怪でも、確実に水木しげる画(右)の方が怖い

この絵の比較からも分かる通り、僕が小さい頃までは、妖怪は今ほどフレンドリーなものではありませんでした。



話を巻き戻して、
そんな妖怪好き小学6年の僕は、夏休みに水木しげるロードに連れて行ってもらうことになりました。

水木しげるロード」とは水木しげるさんの地元・鳥取県境港にある道で、その道の傍らには150体を超える妖怪のブロンズ像が並んでいるという、妖怪好きにとっては聖地なわけです。他にも記念館があったり、妖怪グッズがそこらじゅうの店で売っていたりと、まさに天国


で、当時の僕はその記念を全て写真に収めたいと意気込んでおりました。デジカメを片手にワクワクしながら新幹線で鳥取へ。


米子という駅から境港まではJR境線という各駅停車の電車に乗って行くのですが、その途中にある16の駅にはそれぞれ妖怪の看板が立っています。


こんな感じ。
こういう演出はたまらん。

もちろん当時の僕は全て写真に収めようとしていました。駅に着くと車窓から撮ったり、駅に降り立ったりして写真を撮りまくりました。



そして4駅目だったか、「三本松口」という駅に着いたとき、事件は起こりました。


その駅でも写真を撮ろうと駅に降り立ち、看板にカメラを向けていました。

でもなかなかピントが合いません。

おかしいなーって思ってるうちに、後ろで電車のドアが閉まりました


マジパニック。

田舎出身だし何より常識がなかった僕は、
「絶対に"この"電車に乗らないといけない」と思っていました。


そこでなんと、窓から電車に乗り込もうとしたのです。

でもその窓が、上半分しか開かないタイプで乗れるわけもなく、
そのまま発車した電車に振り落とされました。


手に持っていたデジカメはそのまま線路に落ち、それを見つめる僕は駅のホームに落ちました。


電車は去っていきました。


僕が落ちた三本松口駅無人でした。駅員さんもいなければ、周りには田んぼしか広がっていません。

誰もいない空間というのが怖くて、僕は線路に降りて、木っ端微塵になったデジカメを拾い、そのまま走り去って行った電車を追いかけました。

全くもって危ない行為ですが、実は勝算はありました。
というのも、そこまでの駅間は体感数百メートルしかなく、その雰囲気のままでいけるんちゃうんかな?!とか思っていたのです。


で、走り始めて。

異変に気付きました。



電車が全く見えないのです。


あとで調べてわかったのですが、

三本松口駅から次の駅までの距離がそれまでより長かったのです。

大誤算でした。


でもそんなの分からない当時の僕は走ります。
泣きじゃくりながら、鬼太郎Tシャツが炭まみれになりながら、手には壊れたデジカメを握りしめながら線路を走る少年がそこにはいたのです。

途中で用水路なんかもあって、線路の枕木がボロボロになってるから路線だけを渡るなんていう綱渡り行為もしました。比喩表現ではなく本当の意味での綱渡り行為でした。



そのまま疲れて、泣きながら歩いていると、途中に踏切がありました。そして、その横にヤクルトが経営している保育園がありました。そしてそして、たまたまそこの先生らしき人が花に水やりをしていました。
僕を見つけたその方は、むちゃくちゃ驚いた表情で「どうしたの君?!?! とりあえずこっちおいで!!」と言って僕を園内に連れて行ってくれました。

いろいろ話を聞いてくれ、とりあえず親に連絡しようということに。当時から理系だった僕は数字を覚えるのが好きだったので、母親の携帯の電話番号を覚えていました。そこに連絡し、数分後に家族と合流しました。


僕が三本松口駅で落ちたあと、家族は次の駅で降りて、そこいらじゅうを探し回ったそうです。姉は偶然通りかかった自転車に乗ったおばあちゃんに自転車を借りて探してくれました。普通自転車貸さないよね、ほんといい人に出会った。

1番の命の恩人は、ヤクルトの保育園の先生です。あの方と出会っていなかったら僕は生きていなかったかもしれない。
大袈裟だと思われたかもしれないがこれは本当です。僕が線路を走っていた数分間は、JR境線には1時間に一度しかない、電車の行き来が減る時間帯だったのです。それでももし歩き続けていたら電車に轢かれていました。それから逃れたとしても用水路に落ちて水死体として発見されていたかもしれない。奇跡だったのです。


家族と合流できた僕は、それにも懲りずその後水木しげるロードを堪能しました。
その場で「写ルンです」を大量に買ってもらい、全てのブロンズ像を写真に収めました。記念館にも行きました。お土産も買いました。そして帰りこそしっかりJR境線に乗って帰りました。



帰りに通った三本松口駅は、行きの時とは全く違って見えました。

座っていた席の車窓真ん前に看板があったのに。全然ピントが合わなかったあの看板があったのに。僕はそれを写真に撮る気にはなれませんでした。


その看板に掲げられている妖怪は今でも覚えています。


そでひき小僧

この看板の写真は拾い物ですが、ここに書いている通り、この妖怪は夕暮れ時に帰ろうとする人の袖を引っ張ると言われています。

そしてそれをする理由は、1人になるのが寂しいからだそうです。
「行かないで」「1人にしないで」という意味を込めているのです。


僕がこの駅に取り残されたのは、きっとこの「そでひき小僧」に袖を引かれたのだと思います。逆に死ななかったのも、この妖怪のおかげだと思っています。「悪さはしない」って書いてますもんね。


これこそ本当の妖怪のせいなのね、ってやつです。今思い返してもゾッとするね。


この話は全部実体験です。三本松口駅からその次の河崎口駅までをGoogleMapで見てみてください。用水路もヤクルトの保育園もありますので。



長いこと書いてしまったな、すみません。

とりあえず僕は死ぬまでに三本松口駅にもう一度行って、命の恩人の方にお礼を言いたいと思っています。



以上、僕が経験した「誰にも信じてもらえない体験」の話でした。








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